古代の東アジア交易ルート
einbahnstrasse > 12世紀以前の首都 - 隋・唐 >古代の東アジア交易ルートには、陸路と海路という、大きく2種類のルートがあった。
シルク・ロード(絹の道)
シルクロードは、太古から、西アジアから東アジアまで、さらにはヨーロッパや北アフリカをも結んできた東西交通路の総称である。
一部に海路を含むものの、そのほとんどが陸路で、中央アジア・中国大陸 を通り、東端は正倉院(奈良県奈良市)として8世紀には平城京が設置されていた奈良県までが圏域に組み込まれた。
語源的には、19世紀後半に中国各地を踏査し、その結果を『ヒナ(チャイナ)』として刊行したドイツの地理学者リヒトホーフェン(Ferdinand Rreiherr von Richthofen)が、同著第1巻後半に、中国、西トルキスタン、北西インドとの絹貿易を媒介した中央アジア経由の道を絹の道(Seidenstrassen)と名付けたことに始まる。
以後、学問的蓄積の成果として、シルクロードの3つの幹線が知られるようになった。
参考文献
海上ルート
ここでは、【 隋・唐時代の中国 → 古墳時代の倭~平安時代の日本の例 】を挙げる。このルート上では、以下の4点が主なものであったと考えられている(本項目は、孫玉琴編著『中国対外貿易史教程』対外経済貿易大学出版社、2005年、に依拠した)。
①北路北線:基本的な遣隋使・遣唐使のルート
山東半島→朝鮮半島西岸→半島南端→(釜山→対馬・壱岐)→済州海峡→博多大津→瀬戸内海→難波三津浦〈現/大阪市中央区難波〉。
②北路南線:遣隋使の裴清、遣唐使の円仁ら
山東半島登州→黄海→朝鮮半島西岸の甕津半島→半島南端→以下①と同じ。
③南路南線:鑑真
浙江省〈明州(現/寧波)・越州(現/紹興)〉→東海(日/東シナ海)→奄美大島→大隅海峡→鹿児島沿岸→博多大津→難波
④南路北線:主に鑑真以後
江蘇省〈楚州(現/准安)・揚州〉、浙江省〈明州、温州〉等→東海(日/東シナ海)→値嘉島〈現/五島列島、平戸島〉→博多・難波
上記のうち、①と②のルートは、新羅を中心とした朝鮮半島の戦争によって、その戦火を避けるために、③と④のルートへ変更された点が主な違いとなっている。
以上、2種類の古代の東アジア交易ルートを紹介したが、このルートは、特に陸路について、来るべきユーラシア大陸横断鉄道のルートに近しい点が興味深い。是非、上記リンク先の記事も参照されたい。
