古代の都市構造 - 条里制・風水思想の関連で
einbahnstrasse > 12世紀以前の首都 - 隋・唐 >唐の即天武后に許可を得て持統天皇が「日本国」と宣言して以来、日本国の国境は時代によって様々に変化したが、古代都市は近畿圏に留まり続けた。倭国の時代を含め日本国成立以降も、大阪府の難波長柄豊﨑宮や、兵庫県・滋賀県の一部が追加される程度で、近畿圏を越えることはない違いはない(もっとも、福岡県に独立政権が存在したことは間違いないだろうが)。
この時代の宮廷に、他にも滋賀県・大阪府・兵庫県等に一時的に設置されたことが判明している。例えば、孝徳天皇の難波長柄豊埼宮、聖武天皇の恭仁京(現・京都府相楽郡加茂町)・紫香楽宮(現・滋賀県甲賀市信楽町)、等々。いずれも10年に満たない短期的なものがほとんどである。
宮は内裏・官衙がある場所であり、それを囲む都が京、そして、政治的・時代的雰囲気を強めると朝と呼ぶ。
上表の①→⑤にかけて、都はひたすら北上していることが確認できる。⑤の平安朝中期(894年)段階で遣唐使が廃止されたことを考えると、この北上は中国からの独立過程だったとみることができる。また、菅原道真を太宰府へ左遷した点は、九州に対する畿内の優位性を強調させた。
さて、奈良県橿原市に7世紀後半に存在した藤原京(四坊六条型)だが、大内裏は北辺にスペースを空けた開放的な造営計画に基づいていた。
その計画が、唐の都・長安をモデルにしていたことは広く知られている。
そこには大和三山の配置をはじめとする、完璧な風水思想と条里制が貫かれており、平安京までの首都造営計画のモデルとなった。
8世紀中後期になると、桓武天皇は、聖武天皇による仏教バブルに塗れた平城京と坊主を捨て、平安京へ遷都する前に、一旦、長岡京(八坊九条型)を造営する。
ところが、京都市からみて西域に属する長岡京は、風水的には、飛鳥→藤原京→平城京→平安京という北上ラインから大きくずれていることは、地図や航空写真を見ても明らかである。
そして、桓武天皇は、あろうことか、条里制と風水という都市計画(首都計画)の必須アイテムを利用しながら、北辺のスペースを削除した。
北辺をディリートした桓武天皇は、山岳思想の一つとされる別の思想、すなわち、神仙思想と呼ばれる九字の呪法を長岡京に敷いたことになる。それは、異界との接点を現世へ開くツールであり、桓武は、自ら造営した首都に、怨霊を溜め込むシステムを作り上げてしまったわけだ。
九字の呪法が実際に祟ったのかどうかはともかく、親戚筋の政治的陰謀や、止まぬ大火が災いし、失脚を恐れた桓武は、平城京から真北に当たる平安京(八坊九条型)へ都を遷すことで、何とか天皇の立場を維持させた。
794年遷都時の平安京は、船岡山や比叡山を軸とした風水思想が目立つが、そこには、長岡京になかった北辺スペースを盛り込まれており、藤原京の再現を見たともいえる。
ところが、9世紀末を目前に、876年頃と思われる藤原基経改築時の平安京は、再び北辺スペースが省かれ、九字の呪法が再現してしまった。
広く知られていることだが、その約20年後の894年、菅原道真の失脚、いわゆる太宰府への左遷を経た平安京が、道真の怨霊に苛まれ、留まらぬ大火や民衆の抵抗に頭を悩ます時期が長く続いた。
このような経緯をもとに、安倍晴明は、基経の再現させた九字の呪法の意義を、当時も唐の首都であった長安を乗り越える世界最強・世界最大の首都計画にあったと踏んでいる。
風水思想と条里制で成立している長安を乗り越えるには、九字の呪法が必須アイテムだと考えた基経は、異質な思想を重ね合わせることによって、以後の平安京を災厄ラッシュという試練の舞台へと転換させてしまったわけだ。
コラム
風水思想とは?
①相宅や相墓等の占いの技術+陰陽五行説。
②古代中国から伝わり、気(エネルギー)の流れを物の配置(方角)で制御し、都市・住居・建物などの位置を決定する思想。
陰陽五行説とは?
①陰陽道+五行説
- 陰陽道…宇宙の最初をカオスとみなし、陽の気が上昇して天となり、陰の気が下降して地となったという認識によって、陰と陽の対立・融合として物事を捉える。発想のルーツは中国の神話や壁画に頻出する「女媧と伏羲」 にある。
- 五行説…万物が木・火・土・金・水の 5 種類の元素から成ると考える説。女媧と伏羲については、男女2人が神話の発想の根本にある点は、旧約聖書『創世記』のイブとアダムの例に近いが、女媧と伏羲が人類を生んだといわれるのに対し、イブとアダムは神(ヤハウェ・エロヒム)から作られたといわれる点は大きく違う。
②中国と日本における陰陽五行説の違い
- 中国では学問・技術中心、日本では呪術・宗教的。
- 中国皇帝の礼服と日本天皇のそれとでは、北斗七星と織女星とのデザインに大差。
※陰陽道(または陰陽五行説)には、単に昔の思想・宗教というのではなく、今でも有効な発想が多い。例えば、陰陽説では、例えば、出産後100日間は粟を食べるのが母体に良いという健康法が重要。また、五行説では五節句、内蔵とツボ(秘孔)との関係(経絡等々)など。整骨院でも実は実践されている。
参考文献
岡野玲子『陰陽師』全13巻、白泉社 、1999~2005年(原作夢枕獏)。
三浦國雄『風水 - 中国人のトポス』平凡社、1995年。
※四神相応や風水思想2派等に関する詳細。
村山修一『日本陰陽道史話』平凡社、2001年。
※日本における陰陽道の経緯について詳しい。この本は、古代から中世を中心に、陰陽道と他宗教との関係にも触れているので、是非お勧めする。
