魔女狩りの終息と近代医学の成立 - オランダという現象
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中井久夫『西欧精神医学背景史』の第7章「魔女狩りの終息と近代医学の成立 - オランダという現象」は、希に見るオランダ分析となっている。この章では、近代における精神医学の誕生を魔女狩りの終息の仕方によって概観している。
本章は、ほとんどオランダ経済史に密接に関連したオランダ学問史・精神医学史という展開になっている。それは、中井が、魔女狩りの終焉を考察するさいに重要な現象をオランダに求めているからである。
まず、経済史的な背景としてのオランダ、特にイギリス産業革命の母体となったオランダ商業革命の重要性に注目したジョン・リチャード・ヒックスの引用から始め、中井久夫のオランダ観をまとめてみたい。
「近代工業」が生まれる以前においては、現に使用されており、その生産にかなり多量の資滞を要する唯一の固定資本財は、建物と運輸手段(とりわけ船舶)であった。しかし、建物は概して消費財であり、生産財ではなかった。また運輸手段も生産財であったとしても、製造業にではなく、商業に属するものであった。「産業革命」、すなわち十八世紀後半の「産業革命」 において起こったことは、商業においてではなく、生産において用いられる固定資本財の範囲が著しく拡大しはじめたということであった。この拡大は一つの局面だけで終わってしまうような一度かぎりの拡大ではなく、継続して行なわれた。つまり単に資本蓄積の増加だけでなく、投資が具体化される固定資本財の範囲と種類の拡大なのであった。これこそがこれから考察する「産業革命」という変化についての正しい経済的定義であると主張したいのである。 このように定義すれば、工業化はこれまでの数章で検討してきた商人的経済の発展の過程の延長線上にあるものといえよう。そこで工業化の分析を、商人的経済の発展の分析と同じ見地から行なってみたい。産業革命が最初に起こった北ヨーロッパは、そのとき商人的経済の発展のピークに達しており(もし産業革命につながる諸発展がなかったならば、ピークを過ぎてしまっていたであろう)、すでに「第一の局面」の分析のところで論じた商人的経済の発展と多くの点において類似していた。この拡大は最初オランダによって、次いでイギリスによって、すなわち国民国家によって切開かれた。しかし、それらの国民国家はそれまでの拡大をリードしてきた都市国家と多くの共通点をもつものであった(わたくしが都市国家について述べたことは、十七世紀のオランダ共和国に驚くほどうまく当てはまる。ヴェネツィアと同じような方法、理由でオランダ本国は防禦に適していた。この堅固な基地から、オランダ人は植民団を、つまり商業植民団を、アテナイ人やヴェネツィア人がかつて知らなかった地の果てにまで送り込んだのであった。イギリスの場合も、結局これとそれほど異ならないのである)。(ジョン・リチャード・ヒックス『経済史の理論』240-41ページ)
なぜオランダなのか
オランダの特徴=「オランダ現象」
オランダを特徴づけるのは中世の魔女狩りが最も早く終ったという事態を挙げることができる。また、臨床医学(大学において患者を診察する試み)が最初に本格的になされた事態も見逃せない。精神病者を毛織物工業における集団労働によって初めて治療した(今日の作業療法)というのがその内実である。「オランダ現象」の経済史的背景:低地諸国=中世を通じての先進諸国
干拓による北部農業、イギリス羊毛を使用した南部の毛織物工業が発展していたことが経済史的な背景として存在する。そして、オランダは、ノルマンの劫掠の終息後、最大に密集した自治都市群の所在地として機能しており、総じて、中世を通じ商品経済に適合した集約的な労働が営まれ、勤勉と工夫にもとづく近代的職業倫理が最も受容されやすい素地が存在していたといえる。 また、技術輸出による後進国援助を最初に実施した国としても評価される。イングランド東部のアングリア地方、デンマークのユトラント地方、スウェーデン南部、ロシアなどが、オランダ技術者による干拓のおかげで初めて農地化された。そして、高所得者に対する重課税をもとに福祉国家の萌芽的形態の建設企図がみられ、救貧施設・養老院を公費によって運営し、教会に頼らない福祉施設が初めて建設された。オランダの文化的特徴(避難所としてのオランダ)
オランダでは、手工業的伝統と結びつき印刷出版業が発展し、自由思想の出版などに寄与している。そして、ユダヤ人の避難所、情報の集積地として、諸地域のルネサンス文化で最も秘教的要素が少ないこともオランダの醍醐味だと考えられよう。
そして、メイフラワー号が清教徒を乗せて船出したり、17・18世紀の主要知識人の活動場所として、デカルト、スピノザ、ベイル、ロック、ヴォルテールたちが訪れた場所としても忘れられない。その上、魔女狩り反対者たち、すなわち、ビベス、ベッカー、ワイヤー(ヴィールス)、アグリッパ等が挙って訪問した国でもあった。
オランダの思想・宗教状況
17・18世紀は、オランダとスイスというカルヴィニスト国家で自由思想家が最も安全に機能し、カルヴィニズムと自由思想は現実に共存しえた。カルヴィニズムと自由思想の接合のもとで、まずオランダにおいて、思想的寛容、世俗化、契約に基づく人間関係、現世内禁欲、勤勉と工夫による問題解決、すなわち―全体的総合より導出される解決ではなくて―現実世界の中を行動し、実例を枚挙し、艱難を現実の水準での勤労と工夫とによって克服しようとする、統合主義から範例主義へというべき大きな思想的転換がなされたということができる。(p.47)
オランダにおける精神医学と植物学との接点
近代的な植物園の成立はオランダに始まる(p.47)とあるように、ヨーロッパでは産業革命に先立ち、植物学的な生産革命が存在し、リンネのオランダ留学と精神病分類、彼の二項命名法はクレペリーンの「早発性痴呆」(分裂病)に名残をとどめている。
市民社会の成立と近代精神医学との密接な関連
(1)魔女狩りは、市民階級が経済的主導権を握るのと同時に終息に向かい、市民革命までに消滅する
この時点で悪魔憑きが存在しなくなり、道徳的に堕落した者だけが残り、彼には、堕落しないためにカルヴァニズム的に強制的に労働させる必要が生じた。その後、産業革命とフランス大革命とを境に、精神病者は、犯罪者・売笑婦(売春婦・娼婦)・身体障害者らと一緒くたに施設に収容されていたのが、管理上の能率を理由にした大精神病院へと隔離された。(2)主要な諸国では、講壇からの医学教育が臨床教育へと転換する(臨床医学の成立)
臨床医学の成立と同時に、精神疾患は内科疾患をモデルに「疾患」として記述・認識されるようになる。当時の精神疾患は、伝染病と関連して認知される側面もあった。(3)精神医学、精神医療の推進に携わった人々の思想的・宗教的背景に注目すべき
クェーカー教徒、非国教徒(例えばユニテリアン)、カルヴィニストたちに注目しよう。オランダに発する一連の影響が及んだ国々、特にイギリス、アメリカにおいては、これ以後、精神病者をいかに扱うかが一貫して主張をなしている。(p.53)これについては、17世紀ウェブスターの戯曲での、動物園に先立つ見せ物としての精神病院、といった事態が参照可能である。ここで、フランスの特殊性として、フランス近代化を推進するはずだった実践倫理の持ち主はユグノー教徒だった点が挙げられる。フランスでは、政治的腐敗、大学の凋落などにより、臨床医学の成立はイギリスやオランダに比べて遅れ、市民革命の時期まで待たねばならなかった。



