取るに足らない植民地日本 - アメリカ合衆国の思惑から
einbahnstrasse > 19世紀の首都 - パリ >冷静に地図を見ると、平地の少ない日本列島の西には朝鮮半島がある。さらに西には中国大陸がある。資源の豊富さや市場の広大さなど、欧米経済にとっての効用性を考えると、東アジアの地図は東へ行けば行くほど無効になっていく。
この点から考えると、アヘン戦争のような事態に巻き込まれなかった事実を、日本国の内生的経済発展というような錯覚にもとづいて真剣に検討するような、特に近代日本史や近代日本経済史の研究者が後を絶たないのは、あたかも日本の近代化が中国の犠牲にもとづいていないかのような誤解を与えるだけでなく、いまだに日本列島の学問状況が鎖国状態にあることを意味している。
さて、アメリカ合衆国にとって、単に給油だけが念頭にあったに過ぎない日本開国の理由をもとに、約100年後に勃発した朝鮮戦争や、約150年後に仕掛けたイラク戦争との関係に目を移そう。これまで、朝鮮戦争は冷戦の象徴、あるいは発端だと考えられてきた。しかし、資本主義対共産主義という冷戦構造が解体した後も、アメリカ合衆国は戦争をイラクに対して2度にわたって仕掛けている。
イラクへの攻撃は、冷戦が仮象に過ぎなかったことを証明し、共産主義以外の国に対して戦争を仕掛けるということが明確になった。振り返れば、アメリカ合衆国は共産主義が制度化された後の国(つまり、共産主義諸国)に対しては戦争を仕掛けたことがない。
アメリカ合衆国は、核保有国としてイラクと朝鮮民主主義人民共和国を、そして、将来的に同規模以上になる経済大国として中華人民共和国を恐れる。自分に似た自分の欠点を恐れ、それを攻撃対象にするのはアメリカ合衆国の性質であり、ここでも、やはり、ゴダール『新ドイツ零年』第4章「ロシアの微笑」が想起される。
※ジャン・リュック・ゴダール『新ドイツ零年』1991年、フランス
ここで、19世紀後半の太平洋渡航に立ち戻れば、アメリカ合衆国は、ソビエト革命のずっと以前から、すなわち、資本主義国家vs共産主義国家という対立構造が生じる以前から大陸を恐れていたのだという疑念が生じる。その大陸とは、自分の出自付近であるヨーロッパ大陸(ヨーロッパ半島)だけではなく、同じユーラシア大陸の東部を占める中国大陸であったともいえる。総じて、建国以来、合衆国はユーラシア大陸を恐れ続けてきたのだ。
ただし、アメリカ映画産業からみれば、一部のアメリカ人はこの問題に気づいている。例えば、自分に似たものを攻撃する悲劇として、以下のような映画作品が、全てハリウッドで作成されてきた。すなわち、『エイリアン』、『ゾンビ』、『スターウォーズ』、『スパイダーマン』等々。
これらの作品では alienation(隔離、離間、疎外)がキーワードになるが、隔離対象・疎外対象が時期とともに変化するため、これらの諸作品は必ずシリーズ物になる。例えば、1978年の『ゾンビ』(原題:Dawn of the Dead、アメリカ合衆国、ジョージ・A・ロメロ監督)では、死者たちが蘇り人々を襲い始めたが、2004年の『ドーン・オブ・ザ・デッド』(原題:Dawn of the Dead、アメリカ合衆国、ザック・スナイダー監督)では、生きた人間が謎の病気に感染し、巨大ショッピングモールに逃げ込んだ人間と死闘を繰り広げる設定に変化している。
