「戦後」はいつ始まったのか – 近代の「終わり」から考える
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20世紀の地球で起きた戦争には以下のようなものがある。第1次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争、第2次世界大戦、中国革命、朝鮮戦争、ベトナム戦争、冷戦、東欧革命、イラク戦争、等々…。
一般的にいわれるのは、第2次世界大戦終結に注目し、戦後は1946年以後をさすという見方である。しかし、私は、共産主義国の大量崩壊や、冷戦構造の解体に注目し、戦後は1990年以後にスタートしたとみる。すなわち、近代は、およそ18世紀後半から20世紀末までの約230年間である。
その根拠は、EU、湾岸戦争、インターネット、中国市場開放、日本経済のバブル崩壊は、全て20世紀末に発生している点であり、上記の諸戦争で最も多く関与した国家であるアメリカ合衆国の動向には20世紀を貫く一貫した態度が明らかだからである。
21世紀の癌細胞となりうるアメリカ合衆国には、上記の諸戦争において、19世紀の内戦しか知らず、20世紀には、湾岸でしか戦争を経験せず、必ずトドメを刺さないと気が済まないという関与の仕方が貫かれている。広島と長崎に落とされた原子爆弾や朝鮮戦争やベトナム戦争で行なわれた細菌作戦は、全て空からの攻撃であり、地上戦を行なったわけではない。
したがって、湾岸でしか戦争を経験していないというのは、ややアレゴリカルに考えられるべき事柄ではあるが、トドメを刺すというのは、ドイツの作曲家ウェーベルンを誤射によって射殺したのがアメリカ兵であった点や、原子爆弾を挙げるだけで充分であろう。最近では、サダム・フセインの死刑執行を見届け、ジョージ・ブッシュ米大統領が、意味のない空発言をしたくて仕方がないという習癖を露呈している。
※上記のアレゴリカルな解釈については、ジャン・リュック・ゴダール『新ドイツ零年』1991年、フランスを参照のこと。
第2次世界大戦後に裁かれたものと裁かれなかったもの
第2次世界大戦の惨劇事例には、南京大虐殺(中国 - 南京)、731部隊細菌実験(中国 - 哈爾浜ほか)、細菌戦争(中国 - 浙江省ほか)、ホロコースト(ドイツほか)、原子爆弾(日本 - 広島・長崎)、都市圏大空襲(日本、ヨーロッパ全土ほか)などが挙げられる。
いわゆる戦前と戦後の連動性を保証したのは極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判であった。この裁判で裁かれた事柄と裁かれなかった事柄を比較すると、隠された地政学が出現する。
まず、ホロコーストについては、ドイツが、ニュルンベルク国際軍事裁判によって裁かれ、後には国内裁判として、ナチス残党たちをフランクフルト・アウシュビッツ裁判によって、ドイツ人たちがドイツ人を裁いた。
極東国際軍事裁判では、南京大虐殺が裁かれたが、731部隊を中心にした細菌実験や大日本帝国軍の細菌戦争については不問にされており、当然、広島と長崎に落とされた原子爆弾についても米軍の責任は追及されていない。
あまり知られていない事柄であるが、日中戦争における細菌戦と、朝鮮戦争における細菌戦には、連動性がある。すなわち、石井四郎を代表とする731部隊の隊員たちは日本国内に帰還した後、アメリカ軍へのデータ提供と引替えに東京裁判での追求を罷免させる契約を交わした。
しかし、逃走に失敗した隊員たちは、終戦直前に参戦したソ連軍に捕獲され、1949年、ハバロフスク裁判で山田乙三をはじめとする元関東軍戦犯が裁かれた。なかには、731部隊の生産部部長の川島清、細菌生産班班長の柄沢十三夫、孫呉支隊隊長の西郡英、牡丹江支隊隊長の尾村正男らもいた。
裁判では、川島清と柄沢十三夫が第四部の細菌製造量などの仔細な問題について言及している。また、彼らは、浙江省衢州市、寧波市、江山市、義烏市、崇山村、湖南省常徳市などでの細菌戦実施に関する状況も認めた。


