美しい日本とは何か
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安倍晋三『美しい国へ』では、「自信と誇りのもてる日本へ」がスローガンとして掲げられているが、この国の歴史を終わらせたのは、他ならぬ50~60歳の世代(団塊の世代と全共闘世代)、すなわち安部や小泉の世代である。
たかが西陣という狭いエリアの絹織物技術すら守られなかったこの国に、美しさも自信も誇りもない。また「美しさ」を強調しすぎたために、60年代以降、神経症・潔癖性患者が多発したではないか。21世紀という国家連合の時代に、一国で美しくなろうとする鎖国的発想が横たわっている。窒息的発想がいまだに口から出る時代錯誤を恥じるべきである。
60年代にノーベル文学賞を受賞した川端康成が「美しい日本の私」という講演を行ない、同じく90年代にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎が「あいまいな日本の私」という批判講演を行なった、このような経緯が1994年という20世紀末に存在したのに対し、21世紀になってから「美しい日本」と考えてしまう発想を一国の首相がもっていることは、列島に住む人間として嘆くべき事柄であり、大江のような文学者を日本という国が育てたことはないということを証明している。
なお、靖国参拝問題については、軍人を弔うことよりも、まずもって沖縄県・長崎県・広島県における太平洋戦争被害者の弔いをするべきだと思われるが、東京の日本国政府は東京しかみていない上に、東京から出ようとしない。
「美しい日本」とは、ひめゆりの塔や原爆ドームなどの傷を忘れた上での美しさ、無視した上での美であると、東京の日本政府は言っているのだ。アウシュビッツ、南京、哈爾浜、広島、長崎を経験してしまった人類に美を語ることはできない。
